弘法大師空海が東国巡錫の折、この地の農民が旱魃(かんばつ)で困惑しているのを知り、自分の持っていた独鈷(仏具)にて地面を突き刺した。するとそこから清水が湧き出し、たちまち大きな池を作った。その池の水を配することにより、近隣の水田は無事に田植えをすることができた。
弘法大師はこの池に長く清い水が絶えることなく湧き出すようにと、庵を結んで長清寺と名付けた。これが寺の始まりで、その後、天正年間(1573~1591)に時の城主皆川氏により現在地に移される。
明治の初期に無住職時代があったが、同19年に修験者岡部弘伝が寺に入る。熱心な不動信仰者の同氏は、同年7月に成田山新勝寺の三池照鳳僧正が開眼したお不動様を当山に勧請した。
その後、明治25年に弟子の弘純が不動堂(現本堂)を建立し「栃木のお不動さん」として多くの人々に信仰されている。
現在は、真言宗智山派の寺院ではあるが、古く修験道の神仏混合の作法にて加持祈祷を執り行う寺院でもある。